元東京都知事の石原慎太郎氏がお亡くなりになりました。
惜しいい人を亡くしました。ご冥福をお祈りいたします。
戦後保守のタカ派として歯に衣着せぬ物言いは、賛否両論がありました。
低レベルな記者がくだらん質問をすると、ガツン!と半ギレで対応していました。
でもです。まともな質問をすれば真摯に回答される方でした。
そして中国などの反日国に対してズバズバと切り込む姿勢も賞賛できました。
目 次
若者は軍隊に入れろ
石原氏は常々日本の若者の姿を憂いていました。
現代の若年者はスマホ、SNS、インターネット、ゲームなどにどっぷりと浸かっています。
バーチャル世界での人との関りは積極的にもてるものの、現実となると対人関係は希薄で精神的にもひ弱になってしまいました。
SNSやLINEが原因でケンカや殺人にまで発展するケースが多々あります。
そんな若者達を蘇らせるには、軍役、警察、消防などに高校卒業から2年間行かせろ!と述べていました。
若いうちのは意に反する肉体的な制約を経験しなきゃダメだと嘆いていました。
ぼくの個人的な若者感はやさしくてイイ子が多いと思います。
でもそれだけではダメなんです。
今のままではハングリーな外国の若者に頭脳やメンタルの面でボロ負けしますよ。
日本にいる外国人は流暢な日本語で飲食店やコンビニの複雑な仕事をやってのけています。
コンビニで働く外国人は自国で優秀なんだそうです。
体罰もOK
石原氏は体罰も容認していました。
ケガをさせない程度の「平手打ちぐらいならかまわん」ということです。
教室や部活での行き過ぎた体罰や学校内でのいじめは徹底的に撲滅やるべきです。
ぼくは中学の時に野球部に入っていました。そこで待っていたのは「付き人制度」や「ヤキ入れ」に「しごき」です。
昭和時代にありがちな運動部の悪い所が全部詰め合わされていました。
何かミスがあると部室に呼ばれて正座をさせられ、蹴られたり殴られてました。
一番ひどい時は正座して下を向いている時に顔面を蹴り上げられ、体操服が血だらけになったことがあります。
血まみれになったぼくを見て同級生たちはびっくりしてましたよ。
ブチ切れても良かったのですが、中学、高校ってのは成長期の過程であり、身長や体重に大きな差が出ます。
素手での戦いは体がデカいほうが有利です。しかも複数人が相手です。
乱闘になっても小学生から上がったばかりの小さな少年にはちょっと荷が重いです。
ボコボコにされるだけです。
こんな時代を過ごしたぼくは生まれ変わっても運動部にだけは入りません。
ただ当時の「100本ノック」などや「空気イス」などのシゴキが基礎体力を作りました。
メンタルや足腰の強さ、スタミナ面においては令和の時代にも活かされています。
イジメや下級生に対しての暴力があってはダメですが、ぼくは兵役も体罰もモロ手を上げて賛成です。
今の若者を救うにはそれしかないでしょうという感じです。
自主憲法制定
自主憲法を制定して「自国は自国で守るのが普通の国家」というまともな考えの方でもありました。
またTPP(環太平洋パートナーシップ)にも反対しておりました。
数少ない日本派の政治家でした。
個人的にはあれぐらいワンマンさがあって、愛国心を持つ人が総理大臣になったら、日本はどうなってたのかを見たかったです。
作家で元東京都知事の石原慎太郎さんが亡くなりました。89歳でした。
石原さんは1932年神戸市生まれ。一橋大学在学中に、夏の海辺を舞台に享楽的な生活を送る若者たちの姿を描いた小説「太陽の季節」で芥川賞を受賞しました。
小説が映画化された際には、弟の石原裕次郎さんを俳優としてデビューさせ、大スター誕生のきっかけを作りました。
その後も作家として数々の小説を執筆し、三島由紀夫とも深い親交があったほか、裕次郎さんを題材にした「弟」は、ミリオンセラーになりました。
政治家としては、1968年に参議院議員に初当選。1972年には衆議院議員に転じました。
福田赳夫内閣で環境庁長官を務め、竹下内閣では運輸大臣を務め、1995年に議員を辞職しました。
その後の1999年には東京都知事選に出馬。166万票を集めて当選し、記者会見での「都庁で会おうぜ」という発言が話題を呼びました。
4期13年あまりの都知事在任中は、東京都の財政健全化や排ガス規制などの環境対策に力を入れたほか東京マラソンを国際的なイベントに育てました。
一方で、自主憲法制定や核武装の持論、中国への批判的な発言などが波紋を呼び、尖閣諸島をめぐっては、都知事在任中に東京都による購入計画を発表。その後の国有化を促す結果になりました。
引用元:FNN
東日本大震災の時は東京消防庁隊員らの活動をたたえる
東日本大震災の時は涙ながらに東京消防庁の隊員をねぎらっていました。
石原氏が尖閣を買い取ると宣言した時は「おぉ!石原慎太郎やるやんか!」と思って1万円を寄付しました。
今となってはあの寄付金はどうなったのか・・・。
石原慎太郎さんには謹んでお悔やみ申し上げます。